数日がかりで描いても、完成した日の終わりには水で消されてしまう路上絵。日本ではあまり見かけることの無い『儚い』芸術だ。
しかし、その『儚さ』は日本の芸術にもつながる要素であろう。
鞄工房山本でデザインの担当をしている西村は、その『日本』というものを心の中に持ち続けている。それはなぜか。西村がデザインを志し、一念発起して学んだ場所にその理由がある。イタリア・フィレンツェ。言葉を操ることもままならない状態でイタリアに渡った西村。
イタリア・フィレンツェで学んだデザイン
「デザインというか、描くことを学びたいと思ったのでヨーロッパはいい場所だな、と思ったんです。それに、描くことやつくることが中心だったので、言葉はそこまで困らないかなぁ、って気持ちもありました。」
大事ではないかのように話すが、何かを表現したいと思う情熱を持つ青年は至って穏やかに話してくれた。
「ヨーロッパはやっぱりいろんな芸術にあふれているんですよ。いい刺激を毎日受けられましたね。アールヌーボーが特に好きなので建物だけでもいろんなものを見てきました。」
そんな西村にわざとこんな質問をしてみた。『今の日本の建築とは。』
彼の答えは「無機質」「個性が無い」というものであった。どこを見ても同じような形。色も味も無い。しかし、日本の古いものは個性、主張、味があるという。侘び寂び。それは日本特有の考え方かもしれないが、芸術の世界ではグローバルに相通じるものがあると考えている。
西村がデザインしたジュエリーのデッザン
そして、形となったジュエリー。
「フィレンツェの大学でジュエリーデザインを学んできました。そこでトンボの輪廻転生だったり、無意識に日本の要素をインスピレーションとして取り入れていましたね。」
そういって見せてくれたデザイン画。普通見る紙とどこか違う。背景まで色を塗っているのだ。
「たしかに他の人はやっていませんでしたね。でも、これ、余った絵の具を塗っただけですよ。」
また、何でもないことと話す西村だが、日本人だからこそのきめ細やかな配慮がそこかしこに見受けられるのだ。それがもちろん、今のランドセルデザインへとも結びつくのである。
フィレンツエで出会った『路上画』に、日本の侘び寂びを視た
さて、イタリア・フィレンツェでジュエリーデザインを学んだ西村は、滞在中様々な挑戦を行なってきた。
ジュエリーづくりの工房へと乗り込み納得いくまで自分の作品を作り上げたのはそのひとつである。工房であるからお客様の顔が見え声も届く環境だ。
自分のつくりたいものと、マーケットに受けいれられるものとはどういうものか、と言うことも学べる環境であった。そこでイタリアでの人間の和を作り上げて広げて行くことにもつながっていった。ここで出会ったのが路上絵の仲間たちだ。
フィレンツェで路上絵を描いている西村。
路上絵はチョーク等で立体的な絵をアスファルトや石畳などに描いていくもの。その表現に魅了されて飛び込んでいったのだという。
日曜日などに数人がかりで作り上げても、その日が終われば水で流して消されてしまう。大作になれば数日掛かりで取り組むことがあるというが、儚い芸術である。それこそ、侘び寂びの世界と相通じるものがある。
元となる絵を見ながら地面の色を考えつつ色を付けていく。チョークで色の配合を考えつつ、出来上がった作品はまるで浮き出てくるかのような出来映えだ。
それだけ時間をかけても残らないものにどうして魅了されるのか。
「表現したいからです。」
なるほど。自分の表現をしたいという根っからの芸術家なのだ、と思ったらそうではなかった。
「ひとつの作品に数人で手分けして作業すると、その人の色が出てくるんです。ぼやけた感じの作風と、はっきりした線の作風。こんな風に同じ作品に取り組んでいても違いがあるんです。ただ、一緒に作り上げることが好きなんですよね。そして、みんなに見てもらっていろんな感想をもらえることが楽しいんです。」
つまり、見てもらう人があってこその表現の場であった訳だ。だから、帰国後につとめた念願のジュエリーデザインの仕事は長く続かなかった。
「売れるデザインを考える事しかなくなって、自分らしさというか、表現が出来なかったんです。」
お客様の顔、使っている姿、愛着。そういったものが見えなかったのだ。
そこで、生まれ育った東京から、奈良へ越してくることを決断した。
鞄工房山本で表現したいこと
「まだ鞄工房山本で仕事することは決まっていなかったんですけど、もう、奈良に住んでここで仕事する気で面接していましたね。」とまた、さらっと言うのが西村流。
「僕は作品をつくる時に自然から何かを得たいな、と思っているんです。」奈良の山々に囲まれた環境はその想いにぴったりだ。
だからこそ、やりたいことは山ほどあるという。
西村がデザインしている作品。
「ジュエリーデザインの影響がまだまだデザインにでてしまうんですよね。線の強弱とか。平面よりも立体のデザインが好きな理由もあるかもしれません。だから、まずミシンがけの作業をやりたいですね。」そう語った西村。
「ランドセル、本革に合ったデザインをするにおいては、素材の特性をより良く知る必要があると思うんです。もちろん、イタリアという革で有名な土地で革製品を目にする機会があったことは、今の仕事につながっているとは思います。
でも、ランドセルにおいてどんな装飾が出来るかをわかるために、ミシンで出来ることや作業そのものを知らなければ製品としてつくりやすく、そしてお客様に喜んでもらえるデザインは出来ないと思っています。」
探究心の固まりとしか言えない。
自分の思い描くランドセルをデザインしていくことに向けて、日々邁進する若きスタッフ。
和の心、テイストを大事にする作風。
「デザインした人間が、デザインについて語っている、というのはお客様にとっても面白いと思うんです。」こう話したのは、もし鞄工房山本としてアートをつくり出すとしたらどう思うか、を質問した時だ。ランドセルを中心として、鞄工房山本の持つ世界観、デザイン性をアピールするものをつくった時。
その思い描いているものの先にはランドセルを背負っている子どもたち、そしてそれを見る親たちの顔が常にある。