夢こうろ染(8) 〜自然調和型の芸術表現~

夢こうろ染

日本のアートと西洋のアート。奥田祐斎先生によると、それには大きな考え方の違い、もっと言えば心の面からの違いがある、と言う。 「西洋のアートは計算の上で成り立っているんです。一方、日本のアートは自然調和なのです。その人の年齢で積み重ねてきた人生観や蓄えてきたものを如何に素直に出して行けるのか。無の境地とかっこ良く言いますけれども、スポーツであってもすべてを考えて計算づくではやっていないんですよね。」 そう、日本で古くから伝わる芸術には、書道や華道、茶道などがある。また、スポーツでも心や動き、姿などを重んじる剣道や柔道など「道」という言葉が含まれているものがあり、ひとつの芸術ともとれる。 「『道』という言葉は面白いと思うんです。日本人にとっては心の修行というイメージですよね。」 だからこそ、とことんまで突き詰めるプロ意識と共に「筆の置き所」というのも重要だと話した奥田先生。 「直感的にできない、ごめんね、と感じたらあきらめる事も場合によっては必要です。」 あきらめ、と言うが、これも「道」における美学ともとれる。中途半端なものを作るのではなく、しっかりとしたものを。それは自己満足なのではなく、相手を慮っての事なのだ。 そういった哲学で作られる日本の芸術は海外のアーティストがいくらまねようとしてもそう簡単には作る事ができない。なぜなら、感性の育ち方が違うからで、それに日本人は気づくべきではないか、と奥田先生は思っている。過去にも岡倉天心が日本の美術を世に再度問いかけ、その根本にあるものを世界へと伝えている。 28Nov2014_006 具体的に奥田先生が語った事。 「花鳥風月を表現する事は世界の誰でもできるが、日本人ならではの感性、つまり侘び寂びや自然を理解し、それを取り入れた表現はできない。だから、どんな著名なブランドが日本のデザインをまねても、しっくりこない出来上がりになってしまう。」 しっくりこないのは日本人にとってばかりではなく、世界の人たちにとってでもある。なぜそのデザインなのか、そこにある秘められたメッセージなどが表現しきれていないことが理由なのだ。 そんな感性は、太古の昔から日本人にはあったと奥田先生は感じている。1万5千年前に作られた土偶。それらは繊細で均一な仕上がりになっており、細やかな日本人らしさが現れていると思ったそうだ。それは日本という土地、気候風土が無意識にそういう人を作っているのではないか、と考察している。 また、こんな事も。 「羽衣。あれの方がスカーフやストールなんかよりも古いんですよ。でも、一度存在が消えて、西洋から新たな形となってやって来た。日本ではおしゃれ、装身具としての存在。西洋では防寒具。」 衣服の歴史を調べて行く事で、日本が本来持っていたすばらしいものを再発見する事も多いという。そこで、日本らしいものかどうかの基準は「自然調和型なのか、自然に立ち向かう形なのか」の違いだと言う。もっと言えば、それが日本人らしい生き方、生活様式なのだとも言う。

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