鞄工房山本 奈良本店から車で約5~10分のところにある 珈琲「さんぽ」 さん。明日香村ののどかな風景を眺めながら、自家焙煎のコーヒーと美味しいランチやケーキを楽しめる喫茶店です。すぐ隣には吹きガラス体験のできる 硝子工房「さんぽ」 さんも併設されています。
珈琲「さんぽ」さんができるまで
珈琲「さんぽ」さんは、物腰が柔らかく穏やかなマスターと笑顔の素敵な明るい奥様が仲良くご夫婦で営むお店です。
マスターがコーヒーに夢中になりはじめたのは、なんとまだ中学3年生の頃のこと。当時の家庭教師の先生が目の前で手挽きのミルを使い、豆を粉にして抽出してくれたコーヒーを飲み、「本物のコーヒーってこうなんだ」と知ったことがきっかけでした。その後は高校、専門学校へと進み、卒業後は色々な仕事をしながらプライベートでハンドルロースター(手動の焙煎機)での焙煎を続け、あちこちのお店に行ってコーヒーを飲み比べて過ごしていました。
一方、多摩美術大学でガラスを専攻し、卒業後に富山のガラス工房で働いていた奥様。充実した時間を過ごしていましたが、「このままガラスだけで食べていくのは難しいかな」と思い、ガラス工房をやめて実家に戻り、東京の調理師専門学校へ通うことに。もともと飲食関係の仕事にも興味があり、「自分のお店を持てたらな」という思いから、調理師の資格を取得することにしました。
そんなお二人はその後、運命的な出会いを果たします。
高校生のときにはすでに「将来的にはコーヒー屋さんをやりたいな」と思っていたものの、年齢を重ねたこともあり、今後について悩み始めていたマスター。そんなときにたまたまガラスのワークショップに参加する機会があり、そのつながりで翌年から1年間、吹きガラス専門の工房でガラスの勉強をすることになりました。そしてその1年後、東京の青山で開かれた卒業制作展。ここに、当時マスターの同級生と知り合いだった奥様が、同級生の作品を見るために訪れたのでした。
その頃のお二人は、どちらもちょうど学校を卒業するタイミング。仲が深まり話もはずむうちに、いつのまにか自然と「一緒に飲食店をやろう」という話になったそうです。
出会うまでにいくつもの偶然が重なり、その後も導かれるようにここ明日香村でお店をはじめることになったお二人。
関東出身のお二人が明日香村を選んだのは、「縁やゆかりのあるところでしか(お店を)したくない」と言った奥様の言葉を受け、「子どもの頃によくおじいちゃんと犬の散歩をした記憶があって」と、マスターの心にお祖父様とお祖母様が住んでいた明日香村の風景が浮かんだからです。
印象的なお店の名前は、「お店の核の部分」という「珈琲」に、お祖父様との記憶や明日香村の人たちがのどかに散歩する風景から発想を得て、読みやすく覚えやすいようにと、ひらがなで「さんぽ」とつけました。
「カフェ」というよりは「珈琲専門店」や「喫茶店」をめざして
明日香村でお店をオープンするにあたり、マスターは、当時まったく知り合いのいないこの地で「何かに特化したお店にしてしまうと、お客様の層をものすごく絞ってしまうということになりかねない」と思い、それまでに色々と検討していた物事を一度まっさらな状態から考え直すことにしました。
マスターがそれまで好んでよく飲み、お店でも提供するつもりだった「ものすごく濃いコーヒー」は、「全体的にマイルドでバランスよく、できるだけミルクや砂糖を入れなくても飲みやすい濃度」のコーヒーにすることに。また、コーヒーカップもご夫婦で一緒にこだわって探し、岡山の陶芸作家さんの作品である真っ白で美しい形のカップに統一。明日香村に多く住んでいらっしゃるご年配の方にもゆっくりくつろいでいただけるようにと、なるべくものを置かず、シンプルで落ち着く店内に仕上げました。
「パウダーにしたときに香りがパーンとたつ」コーヒーを理想とするマスターは、日々ハンドピックで良い生豆だけを選別し、定期的に焙煎を行い、丁寧に抽出しています。味わい深いコーヒーと真っ白の綺麗なコーヒーカップはお客様からの評判も良く、「うちのトレードマークにもなっています」と奥様は話します。木のぬくもりを感じながらリラックスできるお店には、明日香村はもちろん、周辺の市町村や県外、国外などの各地から幅広い年齢層のお客様がいらっしゃるそうです。
多くのお客様がお越しになる今の状況から考えると意外にも、お店が広く知られるまでに6、7年ほどかかったという珈琲「さんぽ」さん。
お客様に寄り添って工夫を凝らし、日々丁寧に準備をする。今やたくさんの方々から愛されるお店になっているのは、お店のあらゆるところにそんなご夫婦の真心を感じられるからかもしれません。
何十年も変わらないメニューがずっと愛されているような老舗の喫茶店に憧れ、「その日の気分で何か特別なメニューを出すとかはないですね」と語るマスター。ランチやケーキをつくる奥様も、「変わったものはありませんが、定番のメニューをまじめにつくっています」と言ってほほえみます。
奥様が20代後半から試作を繰り返し、時間をかけて完成させてきた手づくりのケーキの数々。奥様のお母様の母国マレーシアで叔母様や屋台の方からつくり方を教わり、日本向けに食べやすく工夫した「海南鶏飯(ハイナンチキンライス)」。ご夫婦で一緒に数え切れないほどに試作の回数を重ねて理想の味にたどりついた「鶏のカレーライス」。どれもスタンダードな基本の味を追求して生み出した、自信を持って提供するメニューです。
この日私たちがいただいたのは、ランチの「海南鶏飯(ハイナンチキンライス)」。お肉はとっても柔らかく、鶏の茹で汁で炊いた優しい味わいのご飯とよく合います。チリソースやお醤油をかけたり、パクチーと一緒に食べたりすると、また違った豊かな風味を楽しめます。細かく切った野菜がたっぷりと入った、鶏の茹で汁がベースのスープは、どこか懐かしくて深みのある味でした。
「海南鶏飯(ハイナンチキンライス)」と「鶏のカレーライス」はどちらも数が限られているため、事前に予約することがおすすめです。珈琲「さんぽ」さんにご来店の際は、ぜひ皆さまも味わってみてくださいませ。
お隣の硝子工房「さんぽ」さん
珈琲「さんぽ」さんの隣にあるのが、硝子工房「さんぽ」さんです。こちらは喫茶店から3年遅れでオープンしました。こちらの工房の担当は主に奥様です。
この日は、ご予約のお客様が吹きガラス体験をされる様子を見学させていただくことができました。作業は一つひとつ奥様と一緒に行うため、吹きガラス体験が初めての方でも安心して参加することができます。
まずは、ガラスに付ける模様をイメージして、色々な色の細かい粒状のガラスを机の上に散らします。次に、約1200度に熱した炉の中に竿を差し込み、その先に溶けたガラスを巻き取ります。そのガラスをもう一つの炉で温め、取り出して形を整えることを繰り返し、準備ができたら、竿の先から風船を膨らますように少しだけ空気を送ります。その後は、机に広げた粒上のガラスの上を転がして模様をつけたり、さらに空気を入れて膨らませたり、くびれをつくったり……。
さらに、高さを出したり、飲み口を広げだり、底をつくったり……。
どの工程でも竿は常に回転させ、都度ガラスを炉で温めながら作業を繰り返します。そして少しずつ綺麗なグラスの形に近づけていき、好みの形に整えたら完成です。
実はここ明日香村では「飛鳥池工房遺跡」という遺跡が発見され、古代の人々が金や銀、銅や鉄のほか、ガラスを使って製作を行った跡が見つかっています。はるか昔の人もこの地でガラスつくっていたのだと思うと、なんだかロマンを感じてワクワクしますね。30分ほどで一つの作品をつくれますので、皆さまも機会がございましたら、ぜひ一度体験してみてくださいませ。
そして、硝子工房「さんぽ」さんはもちろん、珈琲「さんぽ」さんでも奥様の作品が展示されており、気に入ったものがあれば購入することもできます。
この日、私が気になったのが、こちらの「硝子のおかがみ餅」。お餅やみかんのフォルムが美しく、清らかな雰囲気のある作品です。
また、珈琲「さんぽ」さんの店内にある小さな窓辺には、こんな可愛い作品も飾られていました。
お店でお冷や冷たいドリンクを出す際に使っているグラスも、もちろん奥様の手づくり。お客様からは、「もしかして(このグラスを)つくっているの?」と聞かれることもあるそうです。手づくりのものより、どれも形がまったく同じという工業製品の方が数が多く身近ともいえる日常のなかで、ふと「『(今、自分が使っているものは)誰かがつくっている』と気づいてもらえるきっかけにもなっている」と奥様はいいます。
風景を楽しみながら、印象に残る一杯を
お店の敷地内には庭があり、木々が揺れ、田んぼが広がる景色の先には天の香具山が見えます。もともとこの庭には高い塀や池のほか、井戸やお風呂の建物などもあり、草木は伸びきった状態でした。ご夫婦はそこからすべてを整えなおし、天の香具山を借景とした風情のある庭へと生まれ変わらせました。お店の床を外の地面と同じ高さにするなど、マスターいわく「(お店と)外とのつながりを持たせるようにデザインした」こだわりの庭です。気候のよい時期には、扉にもなっている窓の一面を開け放つこともあるそうです。
「日々この風景を見て仕事できるのがすごく幸せだなと思います」というマスター。満員電車で高校へ通学し、その頃から「将来は満員電車に乗らない生活を送ろう」と決めていた奥様も「(その夢が)叶ってます。本当に幸せ、今」と、言葉に力を込めます。
これまでたくさんの壁を乗り越えてきたご夫婦ですが、明日香村でお店の物件を探すことが、実は何よりも一番大変だったそうです。こちらに移り住んで働きながら、お二人の休みの日ごとに自転車で空き家をめぐり続けるなど、今の場所にめぐりあうまでに費やした時間は、なんと3年。
当時について「神様がここに辿り着くまでにもうちょっと待っててねって言ってくれてたのかなと思いますね」と笑顔で振り返る奥様。「長く続くかはわからないですけどね、できるだけ(お店を)維持する努力をしていきます」と、幸せな今の状態を保つことを一番に考えています。
最近では、県外や外国から明日香村に旅行に来る方が立ち寄られることも多いそう。マスターは、「旅の〆に風景を楽しみながら、コーヒーを飲んで帰っていただければと。『もう一回また来たいな』と、その旅のアクセントにしてほしい」という想いを込めてコーヒーを淹れています。
「印象に残る一杯を、ですね」。そう言って、ほほえみながら見つめあう穏やかなお二人です。
一つひとつ心を込めて用意した食器や器でいただくのは、お客様のことを思って生み出され、日々丁寧に準備されるコーヒーやランチ、ケーキの数々。インテリアの一つひとつにもあたたかみを感じるお店で、ご夫婦やスタッフさんの優しさに包まれ、身も心も満たされる心地よい時間を過ごされてみてはいかがでしょうか。
お店の営業時間は、曜日や季節により異なります。詳しくはWebサイトよりご確認くださいませ。
珈琲「さんぽ」
〒634-0111奈良県高市郡明日香村岡55-4
TEL:0744-41-6115
定休日:木曜日、金曜日(祝日の場合は営業、冬季休業・夏季休業あり)
硝子工房「さんぽ」
住所・TELは上記と同じ
営業日:火曜日、水曜日、土曜日、日曜日
営業時間:13:00~16:00